最高裁判所第一小法廷 平成元年(行ツ)67号 判決 1989年7月13日
東京都大田区東六郷三丁目五番三号
上告人
ランズバーグ・ゲマ株式会社
右代表者代表取締役
生島和幸
右訴訟代理人弁理士
萼優美
萼経夫
成田敬一
中村寿夫
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被上告人
特許庁長官 吉田文毅
右当事者間の東京高等裁判所昭和六二年(行ケ)第一一号審決取消請求事件について、同裁判所が平成元年二月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人萼優美、同萼経夫、同成田敬一、同中村寿夫の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)
(平成元年(行ツ)第六七号 上告人 ランズバーグ・ゲマ株式会社)
上告代理人萼優美、同萼経夫、同成田敬一、同中村寿夫の上告理由
原判決は、判決に影響を及ぼすこと明かなる法令の違背があるから、破棄されるべきものである。以下その理由について述べる。
一 特許法第二条第一項の発明の定義について
原判決の違法性を指摘するに当り、先ず、判決理由の三の「5 取消事由(5)について」(第三二丁裏第六行目ないし第三四丁表第三行目)の説示から吟味しなければならない。なんとなれば、右説示は、特許出願における実体的審査の原点ともいうべき特許法第二条第一項の発明の定義について、特異の法解釈を示されたものであり、その法理念を前提としてなされた原判決は著しき違法性をもつものとなっているからである。
(一) 原判決の説示の要旨は、次のとおりである。
発明の定義は、特許法第二条第一項に定めるところであるが、これを字義とおり厳格に解すべきではない。同条第二項に「特許発明」の定義がおかれていることからみて、特許要件を具備しないものとして拒絶された発明すなわち特許要件を備えるほど高水準でない発明も同条第一項に定義する発明に含まれるものと解される。
故に、これを特許法第二九条第二項の判断に当たり対比資料とされる同条第一項第三号の「発明」に関していえば、同号にいう発明には、対比される技術が少なくとも、当該技術の分野における通常の知識を有する者が理解し得るように自然法則を利用した技術的思想が具体的に開示されていると一応認められれば足り、それが仮に当業者間において周知慣用技術であっても差支えないものというべきである。というにある。
(二) 原判決における前項の判断の誤りについて
(1) 現行特許法がその第二条第一項において特に、「発明」について定義した理由の一は、旧法(大正一〇年法)がその第一条において、「新規ナル工業的発明ヲ為シタル者ハ其ノ発明ニ付特許ヲ受クルコトヲ得」と規定し、発明をもって特許を受ける権利の客体としているにも拘らず、法がどのような技術的思想をもって発明とするかについての判断基準を定めていないため、特許出願審査の実務において、出願に係る発明が特許法上の発明と認められるものであるか否か、いわゆる発明能力の有無の認定の問題がつねに争われてきたことは大正一〇年法時代の大審院判例を通覧されれば一目瞭然である(資料一御参照)。
特許法第二条第一項の発明の定義は、東京高裁、昭和二五年二月二八日判決・同二三年(行ナ)第五号の判決に従ったものといわれ(資料二御参照)、あるいはドイツ国のコーラーの定義に倣ったものともいわれている(資料三御参照)が、同条の定義規定が少なくとも特許法第二九条第一項柱書の「産業上利用できる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」とする規定の適用に当たり、特許出願人の主観において発明を構成するものとして出願したもの(昭和六二年改正法第三六条第四項第一号は、「特許を受けようとする発明」とこれを表現している。)について、その要件を具備しないものに対して、その出願を拒絶するための否定基準としての作用をするものであるとすることに異論はない。したがって特許法第二条第一項の発明についての定義規定は、実体的規定であること明らかである(前掲資料二御参照)。
また、特許法第二条第一項の発明についての定義規定がおかれた第二の理由は、現行実用新案法が、旧法(大正一〇年法)における保護の対象を物品の型としていたのを改正し、特許法と同様に技術思想の創作を保護の対象としたため、特許法と実用新案法との保護の対象の相違を概念的に明白にすることにあったことも学説上異論がない。
(2) 特許法第二条第一項の発明の定義が前項において述べた如き法的性質をもつものであるにも拘らず原判決のいうが如く、この定義規定をもって極わめて一般的な概念規定と解すべきであるとか、特許法第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」には周知慣用技術であっても当該技術の分野における通常の知識を有する者が理解し得るように自然法則を利用した技術的思想が具体的に開示されていると一応認められればこれに含まれるものと解して差支えないと解釈されることは、全く理解に苦しむ。
原判決の右説示は、特許法第二条第二項の特許発明の定義から推認されているものであるがこれでは同条第一項の発明の定義は、全く抹消されるに等しいこととなる。
法がその規定の中において使用されている名辞の概念について定義することは、その名辞の内包を明確にし、そのクラス(外延)を確定することにより、その名辞の意味を明らかにするためのものであるから(資料四御参照)、定義された名辞はそれぞれ別個独立のものであって、その内包が重合するようなことがあってはならず、定義された名辞は、法規中において使用されているすべての場合において同一内包と同一クラスをもつものとして解釈されなければならないことはいうまでもないことで、解釈上都合が悪いからといってその内包や外延をその使用場所ごとに変更して使用することは許されないのである。
であるから、特許法第二条第一項の発明の定義と同条第二項の特許発明についての定義は、全く範疇を異にする概念についてのものである。
同条第二項が「特許発明」について定義したのは、わが特許法が英米法において「独占する権利」を意味する「パテント」という英語を特許という訳語で、しかも、同様の意味を有するものとして導入したため「特許発明」といった場合この名辞が何にを意味するか法律用語としては不明確であることを免がれないからである。
「特許」という名辞は、わが国では、行政法上特定人のために新たに法律上の力を賦与する行政行為を意味するものとして用いられるものである。そして、その内容は公物使用権のような公権、鉱業権のような私権を設定する行政行為、法人の設定のような権利能力を設定する行政行為、公企業の特許、公務員の任命等の包括的権利関係を設定する行政行為を包含するものとして使用されている(資料五御参照)。
ところが、わが特許法においては、特許権は、鉱業法における鉱業権のように鉱業許可という形成的行政行為によって直接に設定されるものではなく、発明であることを主張してなされた特許出願を特許庁審査官又は審判官が審査し、その特許出願に係るものが特許法上発明と認められるものでありかつ、その他の特許要件を具備するものであることが確認されたとき、特許出願人による所定の特許料の納付と設定登録を条件として「本願発明は、特許すべきものとする。」旨の特許査定をし、そして、右条件が成就したとき、換言すれば、所定の特許料の納付が完了し、設定の登録がなされたとき発生するという仕組みになっているのである。
であるから、特許法上「特許」といっても、行政法上いうところの「特許」の概念と一致するものではなく、ましてや「特許発明」といってもその意味は不明確であることを免がれない。そこで特許法第二条第二項は、「特許発明とは特許を受けている発明をいう。」と定義し特許発明といえば、英法系特許法でいうパテンテッド・インベンション(patented invention)と同様に独占権を賦与された発明をいうものと意味づけたのである。
(3) 原判決は、特許法第二条第二項の右規定と別途に同条第二項に「特許発明」の定義規定がおかれていることからみて特許要件を具備しないとして拒絶された発明も同法第二条第一項に含まれるものと解される。このことは同項に定義された「発明」が特許要件を備えるほど高水準のものに限られないことを意味するものということができるとされる。しかし、原判決の右論理には概念上の混同誤認がある。これは、原判決が特許法上の発明の概念と、特許出願人が自らの主観において発明であると主張して特許を受けようとしている発明(特許法第三六条第四項第一号)の概念とを区別して認識していないことに起因するものである。
特許法上の発明の概念はその定義規定から明らかなように<1>自然法則を利用したものであること、<2>技術思想の創作であること、<3>高度性を有するものであることを内包的要件とするものである。これに対し、特許出願人の主観において発明であるとして特許出願されている発明は、出願審査の結果でなければその概念の内包は判明しないのである。特許出願に係る発明が特許法第二条第一項の定義発明の前記内包的要件を具備していないときは、発明能力を有しないものとしてその出願が拒絶されることはいうまでもない。特許要件を備えている高度の発明であっても拒絶されることはありうる(たとえば、特許法第二九条の二・第三九条第一項の場合等)。
原判決は、この出願を拒絶された発明を特許発明の同位概念として捉え、拒絶された発明も発明であるから定義発明の概念規定に含まれると推論されるのであるが、それが誤りであることは多くいうまでもないことであり、かような概念錯誤に基づく原判決が違法であることもまた明らかである。
(4) 特許出願の審査において、その出願の対象であるいわゆる主張された発明が、はたして特許法の要求する発明の成立要件を具備するものであるか、否かを判断することは、最先になさるべき第一義的の手続である。なんとなれば、出願に係る発明が特許法上の発明を構成するものであるか、否かを決定することなしに、特許法第二九条、第二九条の二に規定する特許要件あるいは、発明の先後願関係を審理しても全く意味がないからである。
特許法第二条第一項の発明の定義は、実に出願に係る発明が特許法上の発明を構成するか否かの認定基準としておかれたものなのである。
原判決は、特許法第二九条第二項の適用に当たり同条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」には、当業者間において周知慣用の技術を含むものと解してもよいと判示されている。原判決の推論もここに至っては、特許法第二条第一項の発明の定義がなんのためにされたか判らないこととなる。
(5) 国際的には、発明について定義した法制は極わめて少く、判例・学説の積み重ねのうえに、発明を構成するものであるか否か、いわゆる発明能力の判断がなされているが、その基準は、わが特許法第二条第一項の定義と殆んど同じで、<1>自然力を利用したものであること、<2>技術思想の創作(この概念は、「新しいこと」。「自明のものでないこと「unobvious」を内容とするものである。)及び<3>高度(ドイツ特許法で「Erfindungshoche」といわれるもので技術問題解決の困難性を意味する。)の三要素を具備するか否かが発明能力判断の基準となる。
そして、右基準の判断は、わが国産業界における当業者の通念とする具体的技術水準に基づいてなされるのである。このことは、後述する特許法第二九条第一項の各号にみられるように、発明の新規性判断の基準として法による高度の擬制的技術水準を設定していることに徴しても明らかである。
ところが、現行特許法は、発明について前述した如く定義し、新しいこと、自明であることを発明能力の主たる判定基準としたことと、国際的情勢から大正一〇年法第四条の「本法ニ於テ発明ノ新規ト称スルハ左ノ各号ノ一ニ該当スルコトナキヲ謂フ」「一特許出願前帝国内ニ於テ公然知ラレ又公然用ヰラレタルモノニ特許出願前帝国内に於テ頒布セラレタル刊行物二容易ニ実施スルコトヲ得ベキ程度ニ於テ記載セラレタルモノ」という規定を改正して第二九条の規定を設けたことにより同条第一項の規定は、たとえ、わが国産業技術の具体的水準からみれば特許法第二条第一項に定義する発明の要件を具備するものと認められるものであっても、その出願前に国内において公然知られ若しくは公然実施されている発明又は国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明と同一発明であるときは特許しない旨を定めたもの、換言すれば特許要件としての発明の新規性判断の技術的水準を定めたものとなったのである。そしてこの技術的水準が、法によって擬制された擬制的技術水準であることは、外国において頒布された刊行物記載の発明までを対象としていることに徴して明らかである。大正一〇年法第四条の規定も新規性判断の基準規定であることは同趣旨で出願に係る発明が特許法上発明能力をもつものであってもその各号に該当するものであるときは特許要件としての新規性なき旨を規定している。しかし、外国刊行物記載の発明までも判断の対象として擬制していない点においで著しい相違があるものである。また、同条第二項は、新規性のある発明についての特許要件としての技術水準を定めたもので、前項各号の一に規定する発明に基づいて当業者であれば容易にできた発明であれば、それがどのように、優秀な発明であってもいわゆる進歩性なしとしてその特許出願を拒絶すべきものとしているのである。であるからこの規定は新規性の一側面をいうものであるとする学説もある(資料三御参照)。
原判決の説示されるが如く、特許法第二九条第二項の適用に当たり対比される対象が当業者の実施可能な程度に技術が開示されていれば周知慣用技術であっても差支えないものであるとされる見解は全く大正一〇年特許法第四条第二号の解釈そのものである。これは、原判決が昭和六二年改正法の第三六条第四項第一号に改善規定としておかれた「特許を受けようとする発明」の概念すなわち英米法において用いられる「発明であると主張して出願されたもの」(alleged invention)の概念を特許法第二条第一項の定義発明との概念とを不用意にも、区別して。解釈されていないため同法第二九条第一項第三号の発明の意義を同条第二項の規定の適用において、大正一〇年法第四条第二号の「刊行物ニ容易ニ実施スルコトヲ得べキ程度ニ於テ記載セラレタルモノ」と同一概念において捉え概念的に混交されたことによるもので、原判決にみるこの誤った混交概念を改められない限り、特許庁はその特許出願にあたり、出願審査の第一義的発明能力の審査基準としての法規範を失い、ために特許出願の審査を専ら特許法第二九条第二項の規定によらざるをえなくなり、発明を構成しない特許出願として拒絶すれば事は簡単であるにも拘らず、広く外国における刊行物までを蒐集してこれを引用例として審査せざるをえなくなり、その結果は今日にみるが如き特許出願の審査はその着手までに五年を要するという審査の渋滞をきたす事態を惹起しているのである。
二 原判決は、本願発明の要旨を誤認してなされた違法なものである。
原判決は、その理由一において、請求の原因一ないし三並びに審決の理由の要点2摘示の各引用例の記載及び本願発明と第一引用例との間に同3摘示のとおりの相違点があることは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない特許請求の範囲の記載に成立に争いのない甲第二号証の三ないし五を総合すれば、本願発明の要旨は右特許請求の範囲記載のとおりと認められる(なお、被告は、これと同旨の審決の要旨の認定につき形式的に特許請求の範囲の記載のとおり認定するのみで実質的把握を怠ったものとしでいるが、本件においては、前示のような認定を妨げる特段の事情を認めるべき証據はない。)と判示されている。
しかしながら、原判決の如く、発明の要旨即特許請求範囲の記載とされる論理構成自体が国際的にも容認される法理念でないことを指摘したいのである。昭和六二年改正法は、特許協力条約との関係もあって、改善規定と称して特許請求の範囲の記載内容を英米法のクレームの概念に相当する「請求項」として項別に記載するように改めたのであるが、「特許請求の範囲には、発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない」とした改正前現行法第三六条第四項における特許請求の範囲の記載と請求項とは実質的には法理念においてなんら相違するものではないのである。改正前現行法において特許請求の範囲になされる記載の目的が現行法における請求項と同様に、第一には、多面的又は多角的な形態をもって明細書又は図面において開示されている技術思想の創作の中から保護を求める発明を抽出し、第二には、その抽出された発明の内容を定義することにある。そして、ここにいう定義とは、抽出した発明の内容を明確に、かつその外延(クラス)を確定する手続をいうのである。であるから、特許請求の範囲の記載すなわち現行法でいう請求項そのものは決して、発明を表わしたものではなく、請求項を通じて把握される技術思想の創作が発明なのである。アメリカの特許法学者はいう。“クレームが発明をいうものでないことは、これを如何に強調し”ても強調しすぎるということにはならないこと(資料六御参照)。
であるから、発明の要旨とは、特許請求の範囲の記載(請求項)を通じて、明細書及び図面の記載を観察することによって把握される当該発明の実体をいうのである。最高裁・昭和三九年八月四日第三小法廷判決が「発明の要旨は、特許請求の範囲の記載のみに拘泥することなく、発明の性質、目的又は明細書及び添付図面の記載を勘案して実質的にこれを認定すべきである。」と説示されていることと符節を合わせるものである。ちなみに、右最高裁判例の趣旨は、大審院以来堅持されてきたものである(大審院大正一一(オ)第一七八号同年一二・四言渡第二民判決。)(資料九御参照)。
原判決は、本願発明の要旨は、特許庁審決のいうとおり、特許請求の範囲の記載のとおりであって、この認定を妨げる特段の事情を認めるべき証拠はないとしているが、発明の要旨認定に特段の証拠を挙示する要はないものと思われる。原判決自らが前記御庁判決の判示に従って明細書及び添付図面その他の資料を勘案して、そこに顕出される法概念としての「発明の要旨」を把握すべきである。このような審理を尽くしてこそ特許法第七〇条の「特許発明の技術的範囲は願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」とする法の趣旨も実践されることとなるものと思われる。
故に「発明の要旨」の認定は、事実認定の問題ではなく、実質的には法概念の認定の問題である。したがって、右法概念の認定の誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかである。
三(一) 原判決の本願発明の要旨認定についての違法性
(1) 本願発明において使用するミニベル型自動静電塗装機が上告人により製作発売されるに至ったのは一九七三年であったが(原審において提出した参考資料御参照)、その機構が精密であり、その使用に幾何学的函数学的知識を要するため、ノズルスプレーガン式自動静電塗装機の使用に馴れたわが国業界においては、ミニベル型自動静電塗装機の適切な使用方法はいわば暗中模索の状態であり、したがって、その普及は遅々として進まなかった。そこで、本願発明の発明者等は、ミニベル型自動静電塗装機の使用者にとって使い易く、かつ正確である使用方法の開発に取り組み約二年かかって本願発明を開発したのであって、その特許出願は一九七七年で、ミニベル型自動静電塗装機のわが国に出親した四年後であったのである。
(2) 本願発明の要旨は、「発明の詳細な説明」の欄および図面の記載から、次の如きものとして把握されるものである。すなわち、ミニベル型自動静電塗装機による塗装法は、
a.ベル型自動静電塗装機に対向し、かつ、進行方向に直交する方向において経時的に変化する被塗物を被塗するに当り、
b.被塗物を面積比較によつて複数の塗装面積を区画した後、
c.該各塗装区の被塗面積に応じて、ベル型自動静電塗装機の<1>ベル回転数、<2>塗料吐出量及び<3>シェービング・エア圧力の三要素の操作量を決定し、また、前記各塗装区の形状あるいは部位及び使用塗料の性状によつて、前記各操作量を適宜修正して噴霧量を制御すると共に新たに制御された塗料噴霧状態により形成された噴霧パターンによって該塗装区域を被覆できるようにプログラムしたものである。なお、右にいう被塗面積はコンベヤ速度とこれに直角な被塗物の寸法と積との関係で表わされるものであり、コンベヤ速度が一定である場合は、被塗物の面積の大小はコンベヤに直角な被塗物の寸法の大小に比例して表わされることとなる。
d.吐出量、シェービング圧力及びベル回転数の三要素は、相対的関連すなわち有機的関連において行われるものであり、これが本願発明の塗装方法において最重要な工夫である。この関係を述べると、ベルはエアモータの回転により回転し、塗料を所定流量で供給すると微粒子となって拡散する。そして、被塗物とベルとの間に高電圧を印加すると静電霧化された塗料は静電気力によって内側に曲げられ、さらにシェービングエアを所定の圧力で供給すると塗料噴霧流はさらに内側方向に曲げられることとなる。そしてこの曲がり角度は、プログラムされた所定のシェービングエアの圧力を変え吐出量を変更させることによって達成される。ただし、各曲げ角度に極限があることはもちろんであって、被塗物の比較面積区画は、曲がり角度の極限以内において、決定されるものである。また、被塗物の区画された部分の巾や丈に見合う噴霧パターンは使用塗料の性状の相違、被塗物に凹部がある場合の噴霧パターンはシェービングエア圧力の制御によって修正される。しかし、吐出量とベル回転数とは比例関係にあるものではない。本願発明において重要なことは、吐出量が如何なる手段によって増減されるかは重要な問題ではなく、第一段階として、それぞれ被塗物の面積に応じて吐出量が変更せられ、次いで各区画部分の形状や部位あるいは使用塗料に応じて塗料の吐出量が最終的に修正変更されるということである(昭和六一年一月一一日付手続補正書五頁三行より八行)。塗料によって塗色に殆んど影響のないような場合は、回転数をパターンコントロールとして使用することも可能でシェービングエアの圧力設定と同様の思想に従い、被塗面積、被塗物の形状、塗料の種類等により回転数を可変とすることによって、所望の結果をうることができるのである(昭和五七年七月一五日付手続補正書一二頁一六行より一三頁三行)。
本願発明の要旨は、以上述べたとおりの技術思想を内包としてなるものである。
(二) 原判決の発明の要旨認定について審理が尽されていないと認められる点は、
イ.第一引用例は、昭和三一年国鉄吹田工場において完成された当時において画期的なものとされた通称「線切り塗装」といわれる自動静電塗装(第一引用例二二九頁下段より五行目以下御参照)を示すものであり、第二引用例は、昭和四二年本願発明の特許出願人とOMRON社との共同開発に係る静電塗装制御装置(第二引用例(7)一四七頁御参照)に係るもので、いずれも本願発明の出願前の約一〇年前に出現した技術で、本願発明の微粒子噴霧塗装とは塗装技術としてはカテゴリーを異にするノズル噴射式流体塗装に関するものである。しかるに、原判決は技術的にカテゴリーを異にする両者を一致点と相違点に区別して比較検討され塗料吐出量制御機能の概念的一致に着眼して本願発明の要旨を特許請求範囲の記載の文言通りのものであると判定されている。しかし、原判決における右方法論は概念論であって実質的判定とはいえない皮相の見解であることを遺憾とするものである。
ロ.原判決は、前項において述べた本願発明の要旨における吐出量、シェービングエア圧力及びベル回転数の相対的関連操作方式が高度の数学的理論に基づいて構成されたものであることについての審理が尽されていないこと、そのため、吐出量制御が右操作方式の基本であるとの誤認がなされていることは、上告人の最も遺憾とするところである。
ハ.原判決は、特許制度を有する諸外国において、出願審査の第一義的審理手続とされる出願発明に対する発明能力についての審査がなされることなく、すべて、特許法第二九条第二項のいわゆる進歩性の規定の対象として取扱われている点であること、である。
(三) いままでに、縷々陳述したことを総括いたしますと、本願発明が、出願審査の段階において、各国特許制度がそうであるように、先ず第一義的に発明能力についての適格を具備するものであるか否かの審査がなさるべきであったのである。第一引用例及び第二引用例は本願発明の出願の一〇年前に開発された技術であり、したがって、本願発明の出願当時は、塗装技術としては、すでに慣用技術として当業者に認識されていたことは経験則上明らかである。また、後述するように第一引用例のいわゆる「線切り塗装」と本願発明における面積比較区画とは技術的思想を異にするものであるにも拘らず原判決は両者を混同誤認されているのみならず、不可解のことには、本願発明がミニベル型自動静電塗装機の新規な使用方法についての技術を提案しているにも拘らず、原判決は、そのミニベル型自動静電塗装機のカタログを第三引用例として、これと第一引用例及び第二引用例とを組合わせることによって容易にすることができた進歩性を欠く発明であるとしているのである。
本願発明は、ミニベル型自動静電塗装機の使用法に有効適切な技術手段が見出せなく、ミニベル型自動静電塗装機の使用が普及されないため、その普及を図るために提案されたものであるから、ミニベル型自動静電塗装機の使用法が慣用技術であるナライ盤を使用しなければ使用できない第一引用例またはノズルの往復運動の回数を設定するための線切り塗装法を轉用すれば容易にできるものであるとするならば、それは発明の進歩性の問題ではなく発明構成の問題であつて、特許法第二九条第二項適用の問題ではない。自由法学的見地から、出願に係る発明についてその出願の許否を決定するためには法規をその目的に適合するように解釈し適用してもよいということであれば格別、先ず出願に係るいわゆるアレッジド・インベンションが発明能力を有するか否か、そして、その発明が発明能力を有することが決定され、しかる後第二九条その他の特許要件を適用すべきものとしているわが特許法の建前からすれば本願発明は先ずその発明能力の有無についての判断をし、しかる後に新規性判断の擬制的技術水準を定めた特許法第二九条各項の規定を適用すべきものと解されるのである。そして、同条に記載されている「発明」の名辞がすべて特許法第二条第一項の定義規定の内容をもつものでなければならないことは、いうまでもない。
本願発明についてこのような審理手続がとられる限りにおいては、本願発明は特許される可能性が充分にあることを信ずるものである。
四 原判決の取消事由に対する判断の誤りによる違法性について
(一) 取消事由(1)について
原判決の第一引用例と本願発明との対比についての所論を要約すると、前者は、被塗物の面積及び形状に応じて塗料吐出量を制御するものであるのに対し、本願発明における塗料噴霧の状態の変化は塗料吐出量の制御をその主たる要素として包含しているから、塗料吐出量の自動制御に関する限り両者はその技術思想を同一にするものとされるのである。というにある。
しかしながら、原判決における右の如き認定こそは、原判決が如何に本願発明の要旨認定を誤っているものであるかを如実に浮彫りにするものである。
なんとなれば、およそ塗装技術において、塗装に当たり塗料吐出量を制御することは、当然のことで、本願発明は、そのようなことを発明目的としてなされたものではない。
塗装技術において、最も問題なのは、第一引用例におけるが如く、小筒部と大胴部の如く、被塗物における面積と形状とに差異がある場合、両者を如何に塗装に厚薄の差がなく、かつ、タレを生じないように塗装するかの点にある。第一引用例は、従来慣用手段とされているナライ盤を補助的に使用し小筒部と大胴部とを二段階に分けてノズルの塗料吐出量を制御しつつノズルの往復運動により塗装するのである。ところが本願発明の塗装法によりこれを行なうとすれば、予めボンベの小筒部と大胴部との面積比較によりベルの回転数又はシェービングエア圧力の制御により噴霧バターンを二段に設定し面積比較区域を設定して二段階の部分を有するボンベの全体を一工程で、しかも微粒子の噴霧によりその塗装に厚薄の層がなく、またタレを生ずることがないように塗装することができるのである。であるから、原判決のように吐出量を自動的に制御して塗装するという概念的観察においては両者に一致するところがあるとしても、そのメカニズム及び塗装効果において格段の相違があるのである。
したがって、本願発明は、第一引用例とは塗装技術において、同一技術思想というべきものではなく、ましてや、後者が本願発明における比較面積区画を示唆するものでもないのである。したがって、本願発明方法は、ミニベル型自動静電塗装機の有する特殊機能すなわち、三要素を有機的に結合することによってなされた技術思想の創作であって、特許法第二条第一項に定義ずる発明の要件を具備するものである。故に、本願発明は、特許を受ける権利の客体としての発明を構成するものである。したがって、特許出願における第二段階の審査手続としては、本願発明が特許法第二九条第一項各号に規定する発明であるか否かを検討することによって、その新規性の有無を判断されるべきなのである。本願発明は、新規な発明であるミニベル型自動静電塗装機についての新たな使用法を提案するものであるから同条第一項の各号に掲げる発明に該当するものでないことは明らかであるから、同号各号の発明に基いて容易にすることができた発明でないこともまた明らかであり、原判決にみられるように、同条第二項の規定を適用する余地はないものである。
(二) 取消事由(2)について
原判決は、第一引用例におけるいわゆる「線切り塗装」といわれる慣用技術を内容とする第二引用例の記載が本願発明における面積比較による塗装とをもって、全く同一意義を有するものとは認められないとしながらも、第二引用例の記載内容によれば、同引用例は少くとも自動静電塗装において、被塗物を複数の塗装区に区画したうえ各塗装区に応じた各種操作量のプログラム設定をする旨の技術思想を開示するものであり、第一引用例の記載は、見方を変えれば、ボンベを面積比較により小面積部と大面積部にあらかじめ区画することを示すものともいいうるから、第一引用例記載の自動塗装機において塗料吐出量を調整できる塗装機を使用する場合、そのプログラム設定に際し、被塗物の面積比較によって複数の塗装区に区画し、各被塗装面積に応じて、塗料吐出量の制御のための操作量を決定する方式を採用することは当業者の適宜なしうる程度のことにすぎないと判示されている。
原判決が第二引用例における区画塗装が本願発明における面積比較塗装とは同一技術的意義を有するものと認められないとされたことは、高く評価することができる。しかしながら原判決も認めているように、第二引用例における塗装区画の実体は、ノズルの往復範囲を区画するものであり、勿論そのためには、塗料吐出量の制御も必要となることは勿論であるが、第一引用例における被塗部分の範囲が大小二段に区画されている場合はナライ盤によって、塗料吐出量を制御することによって両区画の塗装目的を達成しうるものであるから、第二引用例にこのナライ盤方式を導入しても、結局は、ノズルの往復運動の回数制御に帰するものであって、本願発明におけるが如く、その被塗面の形状大きさに対応する面積に比較対応する噴霧塗料の拡散可能範囲とそれに要する塗料吐出量を制限し、シェービングエア・ベル回転数、吐出量を有機的に作動させて一挙に塗装目的を完了するメカニズムには到底なりうるものではなく、塗装効果においても著しく異なるものとはなりえないのである。
本願発明は、従来の液体塗料塗装とはカテゴリーを異にする塗料を、微粒子状にする噴霧塗装機の塗装方法に関する発明であるから、その発明構成についての発想が液体塗装の発想とは異なるのは当然であって、その実施において使用される塗料吐出量の制御装置とか、塗装区を予め区画するといったような技術手段は概念的にいうとすれば、同じ言葉が使用されることとなるがその内容は実質的に全く異なるのである。たとえば、塗料吐出といっても、液体塗装においては液体塗料をスブレーガンにより被塗物に対し噴射することであり、噴霧塗装においては、塗料の粒子をシェービンクエアに乗せてベルの急速回転により噴霧状態として所望の面積に拡散分布させることをいうのである。被塗装物の塗布面積区画といっても液体塗装においては、ノズルガンの往復運動によって塗装する範囲の区画をいうのに対し、本願発明にいう比較面積区画とは、ミニベル型自動静電塗装機における霧化塗料の拡散可能範囲に基づいて設定された塗装面積の区画をいうのである。第一引用例及び第二引用例には、本願における比較面積区画という概念は示されていないことは当然なのである。
原判決は、第一及び第二引用例を本願発明との用語(たとえば、吐出量制御、比較面積区画)等の概念の形式的一致を捉えて、本願発明は、第一、第二引用例を組合わせることにより容易にすることができた発明であるから、特許法第二九条第一項第三号の刊行物に記載された発明に該当し、同条第二項にいう進歩性を欠くものであるとして特許庁審決の判断を支持された。
わが特許法第二九条第二項にいうところの進歩性とは、同条第一項第一号ないし第三号に規定する発明に基づいて当該発明まり進歩した効果を付与してなる発明をいうのであって、その基づいた発明は同法第二条第一項に定義された発明の要件を具備するものでなければならない。特許法の右建前には批判がある。しかし、法がそうきめたのであるからこれに従わねばならないことは当然である。
ところが、本願発明は、決して第一及び第二引用例に基づいてなされたものでもなく、また基づく要もなかったものであり、また右二引用例は、本願発明の出願当時においては、すでに慣用技術化されているものである。
であるから、本願発明を第一及び第二引例を引用例としてその出願を拒絶したければ、特許法第二条第一項に定義する発明の要件を具備するか否かを審理し、具備していなければ特許法第二九条第一項柱書に規定する発明を構成しないものとしてこれを拒絶すべきであったのである。この点からいっても原判決は、本願発明の要旨を誤認し、法の適用を誤ったものといわねばならない。
(三) 取消事由(3)について
(1) 原判決は、先ず第一引用例に、自動静電塗装において、塗装の無駄や塗膜の不均一性を防止し、被塗面積及び形状との関係で最善の塗装を得るべく該被塗面積及び形状に応じて塗料吐出量を制限する点の記載があることを強調し、第一引用例記載の自動静電塗装においても、本願発明におけるように、その機能等が周知のミニベル型自動静電塗装機を使用する場合、塗料の無駄や塗膜の不均一性等を防止すべく、その被塗面積及び形状に応じて、塗料吐出量の制御のみならず、ミニベル型自動静電塗装機の有するシェービングエア圧力及びベル回転数の増減による噴霧パターンの制御機能を利用することは当然のことであって何ら創意工夫を要するものでないことは明らかである旨説示されている。
しかしながら、原判決が何にをいわんとしておられるのか上告人には全く理解できない。
第一引用例は、本願発明とは塗装技術としては、本願発明の噴霧塗料の塗装法とはカテゴリーを異にする液体塗料の塗装法を示すものである。したがって、第一引用例において被塗面積及び形状に応じて塗料吐出量を制限するといっても、実質的には区画面積内において、ノズルが往復運動をするに要する塗料の吐出量を制御するというだけのことで、本願発明のように、吐出量とシェービングエア圧力とベル回転数との三要素が相対的に関連操作されて、夫々に区画された被塗物の面積に応じて噴霧パターンと吐出量が変更せられ、次いで各区画部分の形状や部位あるいは使用塗料の性状に応じて塗料の吐出量が最終的に修正されるということにはならないのである(昭和六一年一月一一日付手続補正書五頁三行ないし八行)。勿論本願発明においても塗料吐出量制御は必要不可決のことであるが、実質的には異なった意義をもつものである。
(2) また、原判決は、第一引用例記載の自動静電塗装において、その機能等が周知のミニベル型自動静電塗装機を使用する場合は、その被塗装面積及び形状に応じて塗料吐出量の制御のみならず、シェービングエア圧力及び回転数の増減による噴霧パターンの制御機能を利用することは当業者にとって当然のことであって何ら創意工夫を要するものでないと説示されるのである。
しかし、原判決においていわれる「第一引用例において、ミニベル型自動静電塗装機を使用する場合」とは何にをいわれようとしているのか理解に苦しむ。第一引用例の静電塗装機はノズル噴射式静電塗装機であるから、これをノズル式でなく、噴霧式に変えてミニベル型自動静電塗装機を採用するということであれば原判決の説示されることは理解できるし、ミニベル型自動静電塗装機の有する諸機能を充分に利用することができる。しかしながら、その場合においても本願発明が提案している静電塗装法を使用しない限り充分な塗装効果が得られないことは確かである。
(3) 原判決は、この項においても「第一引用例における塗料吐出量の制御が実質的には塗料噴霧状態の制御をするものであること」を繰返し説示されているが、本願発明の塗装法においても噴霧パターンの大小、被塗面積の広狭によって吐出量の制御をすることは必要であるが、このようなことは、第一引用例の教示をまつまでもなく、たとえば放水車において対象物が広い面積の場合は放水量を多量かつ放水範囲を拡げ、狭い場合は放水量を少くし、かつ、放水範囲を狭くするようにすることは、日常生活における常識的技術である。
本願発明において「塗料吐出量の制御」は、要旨構成上の要素の一ではあるが、これのみでは発明を構成することにはならないのである。被塗物の塗装面積及び形状との対比において、噴霧パターンを、シェービングエア圧力塗料吐出量及びベル回転数の三要素を総合的に勘案して決定し、そのうえで噴霧塗装を行なうもので、被塗物の面積を区画し、その区画内をノズルの往復運動により噴射するに要する塗料の吐出量制御とは技術的意義を異にするものである。
(四) 取消事由(4)について
(1) 原判決は、本願発明の効果は、各引用例の記載から予測できるものであるか、前提をなす周知のミニベル型自動静電塗装機自体の奏する効果にすぎず本願発明に特有の効果と認めることができないかのいずれかである旨判示されている。
しかしながら、第一及び第二引用例の技術的意義を全く異にするいわゆる「線切り塗装」のナライ盤を使用する面積区画と噴出量制御から本願発明の進歩性を否定されることは余りにも強引な御判断と思われる。また、本願発明はミニベル型自動静電塗装機自体の奏する効果に過ぎないと判示されているが、本願発明は既述の如く、同機の発売当時カタログ等にその機能と効果の優秀性を強調してその宣伝販売に努めたのであるが、その使用にはある程度の学識が要求されるところから同機の普及は遅々として進まないため、上告人会社において、正確でしかも判り易い使用方法の発明の開発に取り組み、その努力の成果として、同機発売の一九七三年から四年後の一九七七年に本願発明の完成をみることができたのである。
上告人は、本願発明がカタログの効能書から当業者が容易にすることができるようなものであれば、特に特許出願をする必要はなかったのである。
しかし、原判決の説示されるが如く、本願発明が当業者により容易に想到実施しうるものであるとしたならば画期的なミニベル型自動静電塗装機の使用法についての発明が本願発明の特許出願のなされるまでの間にすでに現出していたはずなのである。
特許出願に係る発明についての発明能力、ことに進歩性の判断にはその背景とする社会的事情をも充分に参酌して頂きたいのである。アメリカの特許出願の審査においては、その要因として商業的成功をも判断資料として参酌されているし、わが国においても同旨の説をなす学者もいるのである(資料七)。上告人は、あえて大審院昭和一八年三月三〇日判決・同一七年(オ)第六七二号の判決を引用させて頂く。「本件特許出願当時本件特許ト同様ノ製造方法ガ要請セラルヘカリシニ拘ワラスカカル考案ノ現出ヲ見ルニ至ラサリシハ即当時ニオケル前掲公知方法ヨリ当業者カ容易ニ想到実施シ得サリシカ為ニ外ナラサル乎ノ消息ニ付須ク検討ヲ加ヘ以テ本件特許カ其ノ出願当時工業的発明ヲ以テ目シ得サリシモノナリヤ否ニ付首肯スルニ足ル具体的説示ヲ与フルヲ相当トスヘシ」(同旨判決・昭和一六年九月二六日判決・同一六年(オ)第一一二号)(資料八御参照)。
(2) 最後に一言いたしたきことは、原判決が本願発明を以って、本願発明の前提をなす周知のミニベル型自動静電塗装機自体の奏する効果にすぎず本願発明に特有な効果と認めることができないとされている点である。
本願発明が、はたして原判決の説示の如きものであるとすれば、本願は、特許法第二九条第一項柱書にいう「発明」に該当しないものと判定されるべきであって、同条第二項の規定をもって律されることは、法の適用を誤った違法性があるものといわねばならないということである。
以上
(添付資料省略)